LOGIN最初にこちらに気づいたのは青半纏だった。
牛刀の鎌爪を振りかざし樹木を切り倒しながら迫ってくる。
刹那一翔、
すると頚部で鈍い音がして案外簡単に首が取れた。
千切れた首から生臭い液体が顔にかかる。
目の前が深紅に染まる。
その赤さが脳髄を刺激してあの夜、信夫と一つになった感覚を思い出させた。
もう何も怖くない。
「柊をいじめるヤツはゆるさない!」
手に触れたものを雌雄構わず誅戮していく。
腕をひしいで骨を折った。牛刀の鎌爪を引き抜いてやった。
髪を掴んで首を引き抜いた。片手で半身を削いだ。
全身が鮮血に濡れる。殺気が漲り制限が利かない。こいつら皆殺しにしてやる。
壁のように立ち塞がるひだる様を滅殺しながら行く手を切り開いていると突然視界が開けた。
ひだる様が輪を作りその真ん中にあの獣がいた。
荒い息をして膝まづき居並ぶひだる様を睨みつけている。
肩を抑える手が血に染まっていて、見ると肩から先の腕がなかった。
「柊?」
獣がこちらを見た。この獣が柊だという確信はあったけれど、その凄まじい姿を目にすると、それが揺らいでしまう。
幼さと妖艶さがないまぜになったあの美しい容姿と余りに違っていたからだ。
その獣の容貌は、額が突き出しその奥の見開いた瞳は金色で鼻は潰れて広がり頬骨が出て顎が張っている。
唇は4本の銀牙が突き破って血泡を吹いてる。
首から下は背中、腕、足と盛り上がった筋肉が周りの気を圧していた。
これが鬼子の姿。
月鬼の名の如く、まさに狼だった。
それでもかろうじて柊と分かるのは、腰のあたりに桜色の布切れがまとわり付いているからだった。
あれは柊が下新造から新造に格上げになった時、
ひだる様は
赤さんに二人で逃げろと言われても不可能に思われた。ひだる様が畳み掛けて攻撃して来る中、鬼子の柊を支えて片手で戦わなければならないのだ。戦いを知ったばかりの妾でもここを切り開くということがいかに難しいかくらいはわかる。せめて柊が一人で立てれば。「柊。立てる?」 獣姿の柊は打ちひしがれたように腕を地面につき頭を垂れていた。しかし、妾の言葉に反応しようとしたのか血泡に濡れた口を開けた。喉の奥から出てきたのは返事ではなく、絞り出された大量の血反吐だった。鉄臭い匂いが妾の鼻腔をつき脳髄が熱くなる。視界に赤い幕が張り、再び信夫への想いを胸に蘇らせた。「太夫! 私めが引き付けますので」 赤さんは叫び、ひだる様の列に突進していった。ひだる様の殺意が赤さんに集中する。同時にその反対側、ひだる様の並びに隙間が出来た。妾はそこへ向け柊を支え前進しようとした。けれど鬼子の柊は全身肉の塊のようで異様に重かった。とてもじゃない。妾一人でなんて無理そうだ。そのうちに赤さんに集中していたひだる様もこちらの動きに気づき始め、再び列の隙間を埋め始めている。このままでは赤さんの計画が台無しになってしまう。そう思った刹那、降って湧いたように若い女性が目の前に現れた。獣に自分の首を投げてよこされた後、次はあなたと忠告した良家の子女然とした人だった。「あなたは何者?」「私は|川村田鶴といいます。五十嵐柊子の鬼子使いです」 鬼子使いというのが何なのかは分からないけれど、柊と強い結びつきがあるのは確かだった。五十嵐柊子というのは、一番親しい妾と店主以外知らな柊の本名だったからだ。「私が担ぎましょう」 この痩せて力のなさそうな人が鬼子の柊を担ぐなんて、「相当な重さだよ。出来るの?」「出来ます」 そう言われてもすぐには信じられなかった。信夫と共にある今の妾には度外れた力がある。それは戦い方すらわからないのにひだる様を倒せることでも分かる。それなのに鬼子の柊を抱き起こすことさえ出来なかったのだ。そう思っているうちに田鶴は、地面に倒れ伏している柊に近づいて腕を取った。そして柊の体の下に自分の腕を差し入れたかと思うと、軽々と
最初にこちらに気づいたのは青半纏だった。牛刀の鎌爪を振りかざし樹木を切り倒しながら迫ってくる。刹那一翔、妾はその顔面に飛びつくと力任せにそいつの首を捻じ回した。すると頚部で鈍い音がして案外簡単に首が取れた。千切れた首から生臭い液体が顔にかかる。目の前が深紅に染まる。その赤さが脳髄を刺激してあの夜、信夫と一つになった感覚を思い出させた。もう何も怖くない。妾は信夫と一緒だ。「柊をいじめるヤツはゆるさない!」 手に触れたものを雌雄構わず誅戮していく。腕をひしいで骨を折った。牛刀の鎌爪を引き抜いてやった。髪を掴んで首を引き抜いた。片手で半身を削いだ。全身が鮮血に濡れる。殺気が漲り制限が利かない。こいつら皆殺しにしてやる。 壁のように立ち塞がるひだる様を滅殺しながら行く手を切り開いていると突然視界が開けた。ひだる様が輪を作りその真ん中にあの獣がいた。荒い息をして膝まづき居並ぶひだる様を睨みつけている。肩を抑える手が血に染まっていて、見ると肩から先の腕がなかった。「柊?」 獣がこちらを見た。この獣が柊だという確信はあったけれど、その凄まじい姿を目にすると、それが揺らいでしまう。幼さと妖艶さがないまぜになったあの美しい容姿と余りに違っていたからだ。 その獣の容貌は、額が突き出しその奥の見開いた瞳は金色で鼻は潰れて広がり頬骨が出て顎が張っている。唇は4本の銀牙が突き破って血泡を吹いてる。首から下は背中、腕、足と盛り上がった筋肉が周りの気を圧していた。これが鬼子の姿。月鬼の名の如く、まさに狼だった。それでもかろうじて柊と分かるのは、腰のあたりに桜色の布切れがまとわり付いているからだった。あれは柊が下新造から新造に格上げになった時、妾が柊にあげた、うさぎ柄の襦袢なのだった。 ひだる様は妾が見
すこし怖かったけれど赤さんがせっかく言ってくれたので中に入ってみることにした。寒さが耐えられなくなっていたからでもある。 破れ障子を開けて中に入ると、板敷きの6畳ほどの広さで奥は天井まで枯れ葉が積もっていた。これに埋っていればすこしは暖かいか。「赤さんも中へどうぞ。そろそろ姿を表してくださっても良いのでは?」 返事が聞こえてきたのは舳先の向こうからだった。「いいえ。ここで見張っておりますので」 最後まで姿を見せないつもりのようだ。 枯れ葉の中に体を入れると、湿った匂いや黴臭さが鼻をついたけれど体は暖かくなった。ただ、寒い日にぬるま湯に入った時のように、ここから出れなくなりそうだった。 しばらくそうして温まっていると、杜のさらに奥からこの世のものとは思えない咆哮が聞こえてきた。今度のは雄叫びというより悲鳴のような気がした。その悲鳴はいつか聞いたことがあった。 柊がまだ先輩遊女の下新造をしていた頃、いつもその遊女にいびられて泣いていた。そいつは露草のように意地くそ悪い女で、弱い者が泣けば泣くほどいびるのが趣味だった。柊は最初のうちはさめざめと泣いているが、次第に泣き喚きに変わり、最後は泣くこともできず悲鳴を上げる。そうしてようやく、うるさいからと解放されていた。 今聞こえた咆哮はあの時の柊の悲鳴に似ていたのだ。あの時分妾はまだまだ下っ端で先輩遊女には逆らえなかった。助けたかったけれど遣り手のおばさんに止められて助けてあげることができなかった。でも今はちがう。妾は自分の意志でここにいるのだ。妹分の柊を助けるために青墓に来たのだった。「柊が泣いてる!」 妾は、暖かな枯れ葉の中から飛び出して、悲鳴が聞こえた杜のながへ駆け出したのだった。 しばらく杜の中を走って行くと、木々の間の窪地に黒い影が蝟集しているのが見えた。20体、いや30体はいるだろう
ひだる様の屍人狩りを目の当たりにした後、柊の行方を探したが見失ってしまった。それは柊を追っていた赤さんも同じようで、二人して青墓の闇を彷徨い歩くことになってしまっていた。 魂が青墓に囚われ暗闇に馴染んだことで周りが見えるようになっても歩き辛さは相変わらずだった。ひだる様に見つからないように荒れた獣道を選んで行かなければならず、生い茂る下草や朽ちた倒木に行手を遮られ、何度も転びながら行くしかなかった。これまでは赤さんが障害物を上手く避けながら誘導してくれてたのだと気づいたころ、低木に囲まれた開けた場所に出た。逡巡の広場は杜の入り端でこんな奥まった場所でなかったし、何よりここが違うのは、真ん中に頽れかけた東屋があることだった。妾は何かわからない衝動に突き動かされて傾いた東屋の側へ近づいて行った。後ろから赤さんの声がかかる。「お気をつけて。ひだる様が潜んでいるやもしれません。調べますので少しお待ちを」 足を止めて待っていると赤さんの声が、「何もいないようです。太夫お疲れでしょう。少しここで休んで暖をとってはいかが?」 そう言われて、ようやく体が冷え切っていることに気がついた。柊の事ばかり考えていて自分の体のことを他所にやっていたらしかった。 東屋の近くに寄ってようやく分かったのだが、その東屋は船の上に建っていた。右手に舳先が、左手に艫が枯れ葉の中から覗いていた。つまり地面に半分埋まった屋形船だったのだ。東屋だと思った屋形の部分は前方が破れ障子で、そこから透けて見える中は人が数人入れそうだった。どうしてこんなところに屋形船があるのだろう。「これは?」「曳舟の神事に使われたものです」 曳舟の神事。その昔、五穀豊穣を祈って西山の鬼子神社から七福神を乗せた屋形船を曳いて長い山道を下る神事があった。その行き先は地獄に仮託した青墓だったという。
「鬼子でございます」 鬼子。満月ごとに獣となって人を食い殺す異形のもの。月鬼とも言われる吸血鬼の眷属。辻沢で吸血鬼の影に隠れて無名だが、夕霧太夫の流れを汲む古来からの存在だという。 それが何故妾を助けてくれたのか?あれは柊だったからだ。だから妾がひだる様に襲われたのを見て飛びかかったてくれたんだ。理由は分からなかったけれど、そう思えてならなかった。 それで、赤さんが再び青墓の奥へと導こうとするのに対して、自分の意思で獣が去った樹木の間に歩みを進めたのだった。 青墓に何かが起きていた。空気が震えて重かった。夜明けが近いはずなのに青墓の杜は暗いままで、時間の歯車が錆びついたかのように時の進みが感じられなかった。 その頃には妾は赤さんの明かりを必要としなくなっていた。光がなくてもなんでも見える。それは目が慣れたというより青墓の闇に魂が囚われたという感覚が近い気がした。 行手の獣道に赤襦袢が蟠っていた。雌のひだる様だった。何かを探しているのか、首を回して辺りを睨め付けている。妾は見つからないように、体を低くして獣道から逸れて茂みの中に隠れた。「サワ、私たち友達だよね」 おずおすとした声が聞こえて来た。それは屍人の問いかけに違いなかった。それに応えたら襲われる。「そうだよ、ナオコ。私たちは友達だよ」 優しげな声が聞こえて来た。心がとろけてしまいそうな慈愛溢れる声だった。妾は思わず身を乗り出して慈悲深い声の主を確かめた。けれど目に飛び込んで来たのは屍人を頭から捕食するひだる様の姿だった。大きな口の中で骨が砕ける音がした。悲鳴にならない悲鳴が辺りの空気を震わせた。首がない屍人が地面に崩れ落ち、赤い炎を上げながら青墓の地面に染み込んで後から山椒の匂いが漂って来た。
そして妾は再び暗闇の中を歩き出す。気配が後をついてくる。静かにそして段々と背後に迫りながら。 すぐに荒い息は後髪に感じるほど近寄って来た。一息ふた息。荒い息がまとわりついてくる。それが短い唸り声に変わった時、妾は振り向いて気配の主を見た。その顔は柊ではなかった。 妾だった。 その妾はこの妾に殺意をむき出しにしていた。こっちも妾なのに何するつもり?そんなこと向こうはお構いなしに炯々と光る眼でこっちの玉の緒を欲望し銀牙の列をむき出しにして来た。 殺される! その時だった。すぐ横の茂みの中から大きな黒い塊が飛び出して来て殺気の主に飛びかかったのだ。向こうの妾と黒い塊がまろびながら深い下草の中に消える。赤さんの明かりがそちらを照らす。視界に広がる下草が荒波のごとくのたうつ度に地響きが起き、青墓に重く被さる樹木を揺るがした。神々の闘争。永遠に続くかと思われたけれどそれが急に止んだ。その成り行きに固唾を飲んだかのように青墓が静寂に包まれた。少しして赤さんが明かりを妾の足元に戻した時、この世のものでない咆哮がして、青墓の闇に轟き渡った。空気を震わすその雄叫びに赤さんがもう一度明かりを戻すと、そこにひだる様でない獣が怒気を露わに立っていた。そしてその手に何かぶら下げていて、よく見るとそれは、妾の首だった。獣は妾と目が合うと口の端を歪め銀色の犬歯を見せた。それは人が見たらゾッとさせられる表情だったろうが妾には笑いかけたように見えた。それから獣は手にした妾の首をこっちに放り投げてよこした。その放物線を赤さんの明かりが追う。髪の毛を降り回しながら飛んできた首が重たい音をたてて妾の足元に落ちた。もう一人の妾の